どこの会社もそうなんだろうか。
とても違和感がある。嫌悪感に似た。
ちょっと書きながら気持ちをまとめてみよう。
まず。
社として目標を掲げる
→各部門が社の目標を達成するため目標を掲げる
→…→だんだん規模が小さくなり→…→
→社員一人一人の行動目標になる。
社として目標を掲げたとき、会社の動きってこんなもんだと思う。
そして、会社の目標に貢献した社員は評価を受けて然るべきだと。
義捐金の場合、
会社の目標額を社員数で割れば、
一人当たりの募金目標額は出るのかな。
もちろん、実際は社内のポストによって
設定額が違うだろう。
会社が社内で集める義捐金の目標を設定するということは、
「私財を使って募金したら、会社は評価するよ。」
ということだろう。
今私が言っていることは、
理論がぶっ飛びすぎだろうか。
でも、休暇を使って仕事関連の勉強をする
ことに違和感を覚えない。
仕事のスキルを身につけることが
自分のためという意味が強いからだろう。
そこで、休暇だって私財だ。と考えると、
「仕事のスキルを身につけた人を、会社は評価するよ。」
(それは業務時間外でも構わないよ)
に違和感は全くない。
むしろ、どの会社も正当に評価して欲しいところだ。
今回のケースである義捐金について考えてみる。
会社は目の前にある利潤を追求するだけの組織ではなくて、
存続することが大事だとかどこかで言っていたような。
会社が存続することで社会が安定するとかなんとか。
だから、「募金」を「社会貢献」に置き換えたらどうだろう。
なので、
「社会貢献したら、会社は評価するよ」
に全く問題ないな。
そう考えると、
社員に対する設定額(を決めるための義捐金の目標額)は
客観的に評価するための材料であり、
ありがたく受け入れるべきなのだろう。
ということで、冒頭で違和感、嫌悪感を覚えた私は
浅はかだったと言える。
ちょっと考えたところで、
気持ちはなかなか切り替えられないものだけれどw
※補足
会社で募っている募金は、募金箱に入れる類のものでなく、
給料から天引きされるものです。
会社が調べれば、誰がいくら募金したかわかるはずです。
※補足
会社で募っている募金は、募金箱に入れる類のものでなく、
給料から天引きされるものです。
会社が調べれば、誰がいくら募金したかわかるはずです。
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